イマヌエル・カンゴのBLOG

一般看護師の陳述

「意味ゲー」とは

こんにちは。カズッペです。

メルカリの売り上げが好調なため、ひどく興奮しています。

 

みなさん突然ですが「意味ゲー」とは一体何でしょうか。 

「意味ゲー」とは私が考え出した一種の理論です。

世の中には本当にたくさんの理論があります。

均衡理論、ゲージ理論超弦理論、人口理論、カタストロフィー理論など、枚挙に暇がありません。

そこに「意味ゲー理論」が一つ加わったところで誰も損はしないだろうということで、このたび提唱させていただきました。

 

この世には多くの「〇〇ゲー」があります。

クソゲー

・謎ゲー

・連打ゲー

脳死ゲー   

 などなど。

皆さんなら一度しかない人生。どんなゲームをやりたいですか?

私は胸を張ってこう答えます。「意味ゲーだな。」と。

 

そもそも意味ゲーとはもともと中国の故事成語から来ておらず、古くは明の時代から使われていなかったそうです。

また、古代ギリシャ神話の中でも同じような概念(古代ギリシャ語で’’imigee’’)が用いられておらず、民衆の間にも深く浸透していなかったようです。

 

今書き連ねた文章に「意味」はあったでしょうか。

私はこのしょーもない文章を考え、キーボードに打ち込むのに5分以上はかけました。

大事な人生を5分も上記の戯言にあてたのです。しかもブログが消えない限り一生残ります。いとも簡単に黒歴史を生み出しました。

でも確かに「意味」はありました。このしょーもない文章は皆さんの大切な時間を10秒ほど奪い取り、頭の中に「?」を生み出すことができたと思います。

 

この世に「意味」のないものなどあるのでしょうか。

「うわっ…これ意味な…」と感じることは私も何度もありました。

しかし、思い返してみると実はたくさんの「無意味」たちが私に考える機会を与え、感動を生み出していたことに気づいたのです。

「無意味」だと感じてしまったら何も生みません。それはただの「無意味ゲー」です。

 

私が言いたいことは、「意味」≠「価値」ではないということです。

「価値」がないことを「意味」のないことだと決めつけるのはもったいないことです。

価値の判断基準は人それぞれであり、私にとって「無価値」なものなど掃いて捨てるほどあります。その辺にある石ころなんてほとんど「無価値」ですが、「無意味」ではありません。

石には”岩石のうち割合に小さいもの。砂ほど小さくなく岩ほど大きくない。塊。”

というれっきとした意味があります。

 

これから私たちの目の前で起きることは「意味不明」なことばかりだと思います。

でも明らかになっていないだけです。無いわけじゃありません。

わからないなら明らかにすればいい。自分の手で。

待ってても誰もやってくれない。

 

物事の奥底に潜む「意味」を見出す力をつけるゲーム。

それが「意味ゲー」です。