「看護師になろう」と思ったきっかけ
こんにちは、カズッペです。こうゆう丸い氷でウイスキーを飲むのが大好きです。
今日は私がどうして看護師になろうと思ったのかを書きます。
看護師を志したきっかけは人によって千差万別だと思います。
・給料がいいから
・身近に看護師の人がいて憧れたから
・人の役に立ちたいから
・かっこいいから
・なんとなく
・わかんない
などなど
誰に聞いても必ず答えは返ってくるでしょう。
私の場合は以前もお話しした通り、母が看護師です。
忙しく働きながらも、ご飯を食べさせてくれ、服を着替えさせてくれ、背筋を正して歩くことを教えてくれました。
身近に看護師がいるということはとても心強いことだと自分は勝手に思っています。
自分も他人に安心を与えることができる人になりたいという想いは母の姿を見続けていたからだと思います。
残念ながら不出来な息子は何も返せていません。親不孝者です。
いろいろな葛藤にもがきながらもいつか恩返しがしたいと考えています。
もうひとつ私が医療従事者として働くきっかけとなった出来事があります。
脳腫瘍です。
私が罹った病気は「聴神経鞘腫瘍」という病気です。良性腫瘍です。
上の写真は自分のものではないですが、同じような感じです。
発覚したのはたしか高校2年生の冬でした。そのころの私は医学に通じていないただの高校生でした。
最初は耳鳴りが続いて地元の病院では「突発性難聴」の診断が下されただけでした。
しばらく治らなかったので別の病院で検査を受けました。
「念のためCT撮りましょうか~」
当時は(CTってなんやねん…)程度の印象しかありませんでした。今ならわかるけどCTはすごいです。
「なんか影っぽいの写ってますね~。念のためMRIも撮りましょうか~。」
(は…?影って何…?てかMRIってなんやねん…)って感じでしたね。MRIはマジですごいです。これで救われている命はたくさんあります。
「腫瘍ですね。ここの白い奴がそうです。」的なことを医者が言ってたと思います。
はっきり言って聴神経鞘腫瘍が直接的な死因となることはほとんどありません。
適切な治療をすれば普通の生活をすることができます。
しかし、医学に疎いカズッペ少年はなんと「腫瘍=ガン」だと思い込んでいたのです。
さらに、「ガン=死」という連想もしてしまったカズッペ少年には、あれこれと説明を続ける医者の話が全く耳に入りませんでした。
今でも覚えています。
この出来事は普段賑やかで話題が絶えることのない家族を、1時間も車の中で黙らせました。
「自分は死ぬのか」という思いで涙が出ました。絶対に忘れられません。
その後、脳腫瘍の中では比較的安全であり、放射線治療で進行を止めることができる。ということがわかったので、治療をしました。
今はその治療をした病院で勤めています。
この「脳腫瘍」がここまで自分を導いたのだと思います。病気に感謝ですね。
「自分と同じような気持ちになる人の支えになりたい。」
その想いは今でも1ミリも揺るぎません。