日本病院学会に参加して~地域におけるACPの取り組み~
どーも、こんにちは。イマヌエル・カンゴです。
最近あまりにも暑すぎてアマゾンで扇風機を買ってしまいました。
やはりあるのとないのでは全然違いますね。QOLの高まりをヒシヒシと感じます。
まだ届いてませんけどね。
さて今回は一度東南アジア旅行記をいったん中断し、先日参加してきた学会についての感想を書き綴っていきたいと思います。
以前参加した学会についての記事もぜひご覧ください。
名前が「カズリッチ」のころですね。懐かしいです。
実際学会に参加するのは好きです。フェスに参加するのより好きです。
ガチガチに構えて勉強しに行くというよりも興味のある話が聴ければいいや~くらいな感覚でいけるので割と気楽です。いつ行ってもいいしいつ帰ってもいい。フェスと一緒。
そして学会のデカいところで発表するくらいの人間ってやっぱり話が面白いんですよね。謎の理論を面白そうに話していたり、難しいことでもわかりやすく説明してくれたりするので「こいつやべ~(笑)」って感じになれます。フェスと一緒。
今回は「病院学会」なので看護に限らず様々な職種についての話を聞くことができました。特に面白いのが、「病院の経営」「病院のシステム」などに関する講演です。なかなか普段聞くことができない病院の裏側を知ることができました。
しかし今回ブログで書きたいのはそれらとはあまり関係ありません(突き詰めていくと関係ありますが)。
私が書きたいのは「ACP(Advance Care Planning)」についてです。近年「ACP」という名称では普及させにくいということで「人生会議」という名称にもなりましたね。(「人生会議」は個人的にダサいと思っているので本ブログ中では「ACP」と表記します)
このブログをお読みになっている賢者の皆さまには既にお分かりいただけているでしょうが、ACPはとっても素晴らしい概念です。
このACPさえ使いこなせば、この世の人々は自分の思い通りに死ぬことができ、QOD(Quality Of Death)爆上げ待ったなしと言われています。
そうゆう戯言は置いておいて、現実ではACPを実践することに様々な障害があります。
ACPとはつまり人が自分や他人の死に方についての理想像や妥協点を模索する活動でもあります。しかし、現在の日本文化は「死」について真剣に話し合う機会が適切に提供されているとは言い難いです。私は母が看護師であったり、父が福祉従事者として働いていることもあって、割と現実的に「死」について話し合います。すべての家庭がそうであるかどうかはわかりませんが、比較的互いに語りやすい環境が整っているのではないかと感じます。
そういった自分の最期の遂げ方についてあらかじめ方向性を決めておくのがACPです。今まさに医療現場で語り合う場を提供していこうじゃあないかという取り組みがなされているのです。
しかし、先ほども述べたように一般的に人々は自分の死について話し合うことを喜んだりしません。実際私自身も好き好んでこんな話をしているわけではありません。必要にかられているから話しているだけです。本当は永遠に若いまま生き続けたいです。不思議なもんですね。
あとあんまり関係ないんですが私が不思議だなあと思うのは、運転免許証や健康保険証の裏面に臓器提供の意思表示欄があるのに、延命や終末期に関する意思表示欄がないことです。どう考えても先にこっちじゃね?とは思ってしまうのですが、すでに決まってしまっているものなので仕方ありません。
さて、ではACPを進めていくためにはどうすればよいのでしょうか?
国民に義務付けるのが良いのでしょうか?
ACPしないとペナルティが課せられるようにすればよいのでしょうか?
なんかそれは違いますよね。大切なのは「文化形成」です。
人々が自分の命の最期について考えることが普通、という文化をみんなで協力して作り上げていくことが大切です。
ACPを行わないままでは、最期の時を迎えるとき様々な物事を代理決定者が決めなければなりません。代理決定者の心理的負担は重いものです。仮に生前の「こう考えていたであろう」という想い(推定意思)がわかるのであれば心理的負担も軽減できるのですが、そういったケースばかりではありません。
書面やビデオなどで明確な意思表示がされていることがあればよいのですが、そんなのは極めて稀。スーパーレアです。よくドラマなどで遺言状に遺産相続のことなんかが書かれていますが、そんなことよりもお前の受けたいケアを書けと思ってしまいます。
ACPはいつでもできるものではないし、やればいいってもんじゃありません。重要なのはプロセスであり、ゴールは問題解決だけではありません。
ある自治体では、ACPについてのリーフレットを作成し、全町民に配ったそうですがそれだけでは成功とはいえません。
ACPは適切な場、適切なタイミング、適切な人など様々な要素が噛み合わなければ真の効果を発揮しません。普段からの綿密な関わりと、機を読んだ効果的な介入を要求されるのです。
ACPには「こうやればうまくいく」というような勝利の方程式など存在しません。
まさに専門職としての経験や技術を試される高度なツールだと言えます。
この世の人々は自分が生きるだけでも精一杯なのに、なぜ他人の死の質までも高めようというのでしょうか。この営みの根源にあるものは「優しさ」なのか何なのかはさっぱりわかりません。だけど取り組んでみたいなと、そう思いました。
はぁ~~~~~~、フェス行きてぇ~~~~~~!!!!!
今日の1曲
The Weeknd - I Feel It Coming ft. Daft Punk