日本病院学会に参加して~地域におけるACPの取り組み~
どーも、こんにちは。イマヌエル・カンゴです。
最近あまりにも暑すぎてアマゾンで扇風機を買ってしまいました。
やはりあるのとないのでは全然違いますね。QOLの高まりをヒシヒシと感じます。
まだ届いてませんけどね。
さて今回は一度東南アジア旅行記をいったん中断し、先日参加してきた学会についての感想を書き綴っていきたいと思います。
以前参加した学会についての記事もぜひご覧ください。
名前が「カズリッチ」のころですね。懐かしいです。
実際学会に参加するのは好きです。フェスに参加するのより好きです。
ガチガチに構えて勉強しに行くというよりも興味のある話が聴ければいいや~くらいな感覚でいけるので割と気楽です。いつ行ってもいいしいつ帰ってもいい。フェスと一緒。
そして学会のデカいところで発表するくらいの人間ってやっぱり話が面白いんですよね。謎の理論を面白そうに話していたり、難しいことでもわかりやすく説明してくれたりするので「こいつやべ~(笑)」って感じになれます。フェスと一緒。
今回は「病院学会」なので看護に限らず様々な職種についての話を聞くことができました。特に面白いのが、「病院の経営」「病院のシステム」などに関する講演です。なかなか普段聞くことができない病院の裏側を知ることができました。
しかし今回ブログで書きたいのはそれらとはあまり関係ありません(突き詰めていくと関係ありますが)。
私が書きたいのは「ACP(Advance Care Planning)」についてです。近年「ACP」という名称では普及させにくいということで「人生会議」という名称にもなりましたね。(「人生会議」は個人的にダサいと思っているので本ブログ中では「ACP」と表記します)
このブログをお読みになっている賢者の皆さまには既にお分かりいただけているでしょうが、ACPはとっても素晴らしい概念です。
このACPさえ使いこなせば、この世の人々は自分の思い通りに死ぬことができ、QOD(Quality Of Death)爆上げ待ったなしと言われています。
そうゆう戯言は置いておいて、現実ではACPを実践することに様々な障害があります。
ACPとはつまり人が自分や他人の死に方についての理想像や妥協点を模索する活動でもあります。しかし、現在の日本文化は「死」について真剣に話し合う機会が適切に提供されているとは言い難いです。私は母が看護師であったり、父が福祉従事者として働いていることもあって、割と現実的に「死」について話し合います。すべての家庭がそうであるかどうかはわかりませんが、比較的互いに語りやすい環境が整っているのではないかと感じます。
そういった自分の最期の遂げ方についてあらかじめ方向性を決めておくのがACPです。今まさに医療現場で語り合う場を提供していこうじゃあないかという取り組みがなされているのです。
しかし、先ほども述べたように一般的に人々は自分の死について話し合うことを喜んだりしません。実際私自身も好き好んでこんな話をしているわけではありません。必要にかられているから話しているだけです。本当は永遠に若いまま生き続けたいです。不思議なもんですね。
あとあんまり関係ないんですが私が不思議だなあと思うのは、運転免許証や健康保険証の裏面に臓器提供の意思表示欄があるのに、延命や終末期に関する意思表示欄がないことです。どう考えても先にこっちじゃね?とは思ってしまうのですが、すでに決まってしまっているものなので仕方ありません。
さて、ではACPを進めていくためにはどうすればよいのでしょうか?
国民に義務付けるのが良いのでしょうか?
ACPしないとペナルティが課せられるようにすればよいのでしょうか?
なんかそれは違いますよね。大切なのは「文化形成」です。
人々が自分の命の最期について考えることが普通、という文化をみんなで協力して作り上げていくことが大切です。
ACPを行わないままでは、最期の時を迎えるとき様々な物事を代理決定者が決めなければなりません。代理決定者の心理的負担は重いものです。仮に生前の「こう考えていたであろう」という想い(推定意思)がわかるのであれば心理的負担も軽減できるのですが、そういったケースばかりではありません。
書面やビデオなどで明確な意思表示がされていることがあればよいのですが、そんなのは極めて稀。スーパーレアです。よくドラマなどで遺言状に遺産相続のことなんかが書かれていますが、そんなことよりもお前の受けたいケアを書けと思ってしまいます。
ACPはいつでもできるものではないし、やればいいってもんじゃありません。重要なのはプロセスであり、ゴールは問題解決だけではありません。
ある自治体では、ACPについてのリーフレットを作成し、全町民に配ったそうですがそれだけでは成功とはいえません。
ACPは適切な場、適切なタイミング、適切な人など様々な要素が噛み合わなければ真の効果を発揮しません。普段からの綿密な関わりと、機を読んだ効果的な介入を要求されるのです。
ACPには「こうやればうまくいく」というような勝利の方程式など存在しません。
まさに専門職としての経験や技術を試される高度なツールだと言えます。
この世の人々は自分が生きるだけでも精一杯なのに、なぜ他人の死の質までも高めようというのでしょうか。この営みの根源にあるものは「優しさ」なのか何なのかはさっぱりわかりません。だけど取り組んでみたいなと、そう思いました。
はぁ~~~~~~、フェス行きてぇ~~~~~~!!!!!
今日の1曲
The Weeknd - I Feel It Coming ft. Daft Punk
看護師、東南アジアへ行く
どーもこんにちは、イマヌエル・カンゴです。
第3回、アジア紀行を書きたいと思います。本来であれば今回で終わるはずがまだまだ先は長いです。なんでこうなった。
バンコクにはカオサンロードというバックパッカーの聖地があります。簡単に言えば繁華街なのですが、その盛り上がり方の凄まじさたるや。
休日だろうが平日だろうが人々は通りで大音量を流しながら踊っていたり、怪しそうなニオイがプンプンする店がずらりと並んでいます。
通りにはマッサージ店なんかもあり、本場のマッサージを味わうことができます。タイに滞在(激ウマギャグ)する期間は3日程度だったので、現地の言葉を覚えるまでには至りませんでしたが、次回来るときはもっと長く滞在して、現地の人々と現地の言葉でお話してみたいと思いました。
今回タイに向かった理由の一つとして、幼少期からの知人に会いに行ったというのがあります。その方は、現在は日本国内の大学教授としてご活躍されています。また、東南アジアの国々で政府の福祉分野アドバイザーとしても活動されています。
その方によれば、東南アジアではすでに「バイリンガル」という言葉は使われなくなってきており、英語と母国語を話すというのがスタンダードになりつつあるようです。いかに日本人の意識(私の意識)が遅れているかがわかりました。
日本で暮らしている分には英語が話せなくても特に不自由はありません。しかし、これからの時代、グローバル化は間違いなく進んでいきます。その中で時代に取り残されないためには英語を扱うというのは最低限のスキルなのかもしれません。
私自身の英語スキルは本当に無様なもので、この旅の中でも何度も自分の不甲斐なさを嘆きました。もっとしっかりと勉強して多くの人々とコミュニケーションを交わせるようになりたいです。
しかしいくら自分の英語がダメだと言っても、使わないと上達しません。そこで夜のバーに行っては手当たり次第に声をかけました。そこでたまたま気が合った女性が上の写真のNessaさんです。この方は様々な観光地を案内してくださったり、丁寧にタイ語を教えてくれたりしました。タイでコンサル会社を経営しているみたいで、しかも簡単な日本語まで話せるというスーパースペックぶり。すげー人だ。
今回海外に行って様々な人と連絡先を交換しました。その時に役立つのは大体Facebookかインスタグラム、時折LINEという感じ。
「お前のTwitterのアカウント教えてくれよ。」とは一度も言われませんでした。いちばんみてるんだけどなぁ…
ここまでで大体タイ(激ウ…以下省略)についてはお話しできたでしょうか。
次回からは「狂気のカンボジア編」です。楽しみにしてくれよな!!!
今日の1曲
看護師、東南アジアへ行く
どーもこんにちは、イマヌエル・カンゴです。
今回は東南アジア紀行の第二回目をお送りしたいと思います。
前回までのあらすじはこちらをご覧ください。
さて、無事バンコク行の列車に乗った私はあることに気づきます。
「あれ、俺タイの土地勘まったくないな。」
こうゆうのは旅のお供グーグルマップ大先生にお世話になるのが一番ですが、せっかくのバンコク。現地の人に尋ねることにしました。
隣に座っていた女性に話しかけると英語が話せるようなので、私の拙い英語でなんとかコミュニケーションを試みる。しかし、私の英語レベルは本当にひどいもので、あちらは理解に苦しんでいるようでした。
そこで活躍したのが、グーグル翻訳大先生です。今回の旅はマップと翻訳の二大巨塔に支えられました。マジで神アプリです。
どうやらこの女性はこれから暇らしく、バンコクを案内した後ホテルまで案内してくれるそうです。タイ人神か。
バンコクは川に沿って町が栄えています。文明は大きく発展しており、巨大な建造物も多くそびえたっています。バンコクの人口は約1600万人と札幌の8倍ほど。街中を歩いていると近代化した都市の風景とタイ独自の仏教建築物がうまく融合しているように映ります。
このような近代建築もさることながら、仏閣や宮殿なども息をのむ美しさです。
中でも超有名な「Wat Pho(ワットポー)」はマジですごいです(語彙力)
ここを訪れるタイ国民の信仰心は凄まじく、日本の仏教信仰とは違った味があるなと感じました。元をたどれば同じ宗教のはずですが、こうも違うのはなぜなのだろうと私の中のリトルイマヌエルが囁きます。
さあ、次回はいよいよお待ちかねのバンコク夜の部門です。
いったいどんな世界が私を待ち受けているのでしょうか(ぐへへ)
今日の一曲
Porter Robinson & Madeon - Shelter (Official Audio)
看護師、東南アジアへ行く。
どーも、こんにちは。イマヌエル・カンゴです。
実はわたくし6月から7月にかけて東南アジア(タイ・カンボジア・ベトナム)に行ってまいりました。
海外に行くこと自体初めてだったのですが、これまでの自分の殻を破るため単身向かうことにしました。
これからブログを全3回に分け、海外一人旅についての記事を書いていきたいと思います。
記念すべき第一回目はタイ編。
微笑みの国Thailandで起こったことをありのままに話すぜ。
まずはこちらの写真をご覧ください。
ここは韓国。タイのバンコクに行くまでに新千歳空港から韓国のソウルに行かなければなりませんでした。トランジット(乗り継ぎ)というやつですね。
滞在時間は5時間ほどでしたが、こうゆうのでも「おれ韓国いったことあるさ~」と周囲に吹聴してもよいのでしょうか。己の倫理感が試されているような気がします。
日本からタイに到着するまでは15時間かかりました。格安航空なので致し方ありません。大体片道2万円くらいです。
飛行機に揺られること数時間、ついにタイ到着。ユーラシア大陸のにほいがしますね。
現在のレートでは1バーツ=3,50円。しかし現地の物価がわからないため、最初に乗り込んだタクシーに倍額ぼったくられる羽目に。あとから知人に話を聞いて初めて知りました。
現地に到着した時間は夜の12時を過ぎていたので、正直なんでもいいから早くホテルに連れてってくれという感じでした。そこに付け込んだのでしょう。狡猾なタイ人だ。
翌日、朝起きてとりあえずバンコク市街へ向かおうと宿を出る。空港から市街へは数キロ離れているため、列車を利用することに。
駅に到着、片言の英語で駅員に時間を確認しチケットを購入する。バンコク行は11時。それまでのんびり待つことに。
11時になり列車が到着。駅員とアイコンタクトをとる。
「(こいつがバンコク行きか?)」
「(ああ、もちろんだ。)」
意気揚々と乗り込んだのも束の間。車両は明らかにバンコクと逆方向へ向かう。
オロオロとする日本人がポツリ。周囲に知った顔はいない。
近くに座っていたご夫婦に話しかける。「これはバンコク行ですか?」と。
「違う。これはバンコクには行かない。」的なことをタイ語で言い始めた。
「終わった…」そう思ったのも束の間、突然隣の奥様が「アナタニホンジン?」と問いかけてきたのであった。なんとこの女性は若いころ日本に住んでいたことがあり、少し日本語が喋れるというのであった。しかも、せっかくだからこれから私たちと寺に行ってそのあと一緒にバンコクへ帰ろうというのであった。
こんな神展開ある?と思いつつもちょっと怪しい気がしたがご厚意に甘えてついていくことに。
到着した先にはとてつもない宗教施設があった。不安そうにしている私に、「アナタツイテクル、ダイジョブ。」と必死に安心させようとしてくれる奥さん。もうこの人に身を委ねるしかない…そう思った。
実際この夫婦はマジでいい人達で、いろんな施設を紹介してくれたり、うまい飯をおごってくれたり、お土産にと一人では食べきれない量のお餅を買ってくれたりした。
「ワタシホントハニホンニイキタイ。デモタカイ。オットモワカッテクレナイ。」と悲しげに語っていた。確かに日本は物価も高いし、旅費もかかる。一般的なタイの家庭では日本への旅行費を稼ぐのは並みのことではないそうだ。
だからいつか私はお金をたくさん稼いでこの二人を日本に招待したいと思った。それくらい本当に救われた。ぜひとも恩返しがしたい。
この後二人は私に切符を買い与えてくれた。二人は途中で降りることになってしまったが、「コノアトモノッテル。ダイジョブ。」と手を振りながら私を見送ってくれたのであった。
ここまででタイ初日の夕方です。
まだ一日も終えていませんが、私はここでいったん筆を置きたいと思います。
疲れました。明日も日勤なので寝ます。
このあともタイは盛りだくさんです。全3回?
収まるわけないでしょ。
今日の一曲
理想を突き動かすもの
こんにちは。イマヌエル・カンゴです。
ブログでもなんでも、書き始めるのが大変で、書き始めてしまったらすらすらと進んでしまいます。そんなもんなんですね。
全3回でお送りする「起業家セミナー in 名古屋」の記事も今回でラスト。
今回は岡田悠偉人さん、藤野泰平さんのような起業家たちが持つ「情熱」、モチベーションの保ち方を書いていきたいと思います。
これまでの記事を通して、彼らが凄いというのは十分にわかりました。
(実際には書いてあることの890倍くらい良いこと言っているので私ごときの記事を鵜呑みにせず自分の目と耳で確かめてきていただきたいです)
しかし、そこで重要なのは「なぜ彼らはそれを成し遂げるまで続けることができたのか」だと私は考えました。
午後の質問タイム、フロアからはこのような内容の質問が飛び出てきました。
「私たち一般ピーポーもモチベーションを維持したいですけど、どこかで〈欲〉が出てしまうんです。どうしたらよいのですか?」
まじでそこなんですよね。超わかります。
こうしてブログを書いている間も、目の前にあるゲームや本に誘惑され続けている私としては現在進行形での悩みなんですよ(笑)
世の若者たちを苦しめる悩みにお二方は別々の回答を示しました。
岡田氏曰く、「何かを成すことにモチベーションは必要なく、自分がやると決めた目標に対して計画を立て、それを着実に遂行していくことが重要」だそうです。
これ結構衝撃的だと思うんですけど、行動を起こす際にはモチベーションは必要ないってことなんですよね。岡田氏はかなり合理的思考の持ち主なので、仕事を行う際には人間の感情が入り込む必要はないと考えているそうです(手放しに賛同することはできませんが)。「看護師は患者の看護計画を立案するくせに自分の計画は立てようとしません。」と彼は口をすっぱくして言い続けています。毎セミナーで言っているような気がする(笑)
他方、藤野氏曰く、「やりたくないことはやらないようにして、自分が一日遅れたら日本が一日遅れることになると考えながら行動することが重要」だそうです。
やりたくないことはやらないようにすることの一例として、夫婦間の合意を形成したうえで家事をほとんどやらないようにしているようです(育児には積極的に参加する)。イクメンが流行するこの時代に逆行したスタイルをとるのも藤野氏なりのビジョンがあるから。普通自分の行動が一日遅れたら日本が一日遅れるなんて思いませんよね(笑)しかし、彼には実際に影響力があり、言っていることに説得力があるから許されることなのでしょう。何も成していない私が同じことを言っても知り合いから袋叩きにされるだけです。
どうでしょう、みなさん。実際にはもっといろんなことを言っていましたが、これらの話を聞いて「じゃあ私もそうしよう!!」と思えたでしょうか。
私は100%無理だと思いましたね。彼らと同じ感覚では立てないと思いました。
まず動機の重要な要因である、「幼少期の原体験」。彼らがケアワーカーを志すに至った動機は私たちとは違います。
送ってきた学生時代、食べてきたもの、誰と付き合ってきたかなど何から何まで違います。すべての事象が違うにも関わらず、動機だけ真似することはできません。
では立たないのか?いや、そうではないでしょう。
私たちは自分の「立ち方」、「モチベーションの保ち方」、「情熱を維持する方法」を見つけ出す必要があると思います。
みなが同じである必要はありません。自分のやり方があるはずです。
実は、彼らは共通してある一つの「解」の出し方を持っていました。
それは「本」です。
私たちが悩むことのほとんどは本屋に答えがあると。岡田氏は言います。
まあそうですよね。本はあまりにも偉大すぎます。
「知的好奇心を持ち続け、貪欲に読書し続けた者は幸福である」という言葉があるじゃないですか。聞いたことないですよね。私がいま作り出しました。
しかし世の中には読書を全くすることなく暮らしている人たちもいます。
まあそれはそれでいいと思います。サッカー界の至宝と呼ばれるネイマールがあまり読書家ではないだろう、ということもある程度推測できます。本なんて読まなくても成功できる人は成功できます。
でも私は凡人なので本を読まないと成功できないような気がします。私は他人よりも能力が低いということを自覚しているので、本を読むなりなんなりして頑張らなければいけません。
え?なぜ頑張るのか?動機は何なのか?
そこなんですよ。
今日の一曲
Simon and Garfunkel - Bridge Over Troubled Water
地域への想い
こんにちは。イマヌエル・カンゴです。
5月にも関わらず、北海道では39.5℃という驚異的な気温を叩きだしました。クソ暑かったです。
今回の記事では前回に続き、「起業家セミナー in 名古屋」の内容について書きたいと思います。
第2回目は「地域におけるケアの役割」です。いかにも学校の講義で取り上げられそうな題名ですよね(笑)しかし、今回訪問看護について講義してくださった方はかの有名な藤野泰平さん!訪問看護の役割を面白く、興味深く説明してくださり楽しく受講することができました!正直私はこのセミナーで初めて藤野さんを知ったのですが、秘められた熱いパッションに圧倒されるばかり(笑)
講演の冒頭で「FACTFULNESS」の人口問題を出題していて、「うわっ、これFACTFULNESSじゃん!!」と思って自信満々で答えたら3問中1問間違えるという(笑)
ちなみにこちらが藤野さんが代表を務める「株式会社 デザインケア」のHPです。
藤野泰平さんの経歴なども記載されていますので、ぜひご覧になってください。
https://kakaritsuke.co.jp/about/
さあ本題に入りましょう。
私は現在人口200万人を抱える札幌市に暮らしています。が、ここに来る前は人口2万人の都市、その前は人口1000人の町で暮らしていました。
田舎にはまともな医療資源がありません。これは私の体験談なのですが、改善することのない耳鳴りを地元の病院で受診し続けても「突発性難聴」の診断しかされませんでした。これはおかしいと思った母に連れてこられた大きな町の病院でセカンドオピニオンを受けて初めて脳腫瘍が判明しました。
田舎であるが故の医療アクセス困難事例は都会の人には実感できないかもしれません。
藤野さんの故郷である愛媛県でも同じように医療へのアクセスが困難であるようです。
この問題に立ち向かうべく、藤野さんは訪問看護の力を使って「僻地の医療」を変革したいと考えたそうです。
都会では発展していく医療技術の恩恵に与る一方、限界集落における医療格差は年々広がっています。聖路加国際病院や虎ノ門病院は有名な病院ですが、愛媛や北海道などの田舎の地域には貢献してくれません。
近年は高齢者の運転による事故を問題視する風潮も流れていますよね。これにより高齢者から車を奪い取ってしまえばどうやって医療機関を受診するのでしょうか。田舎で走っている公共交通機関の不便さを知っている人ならまず「バスに乗ればいい」などとは言いません。
病を抱える人が病院に来れないなら、こちらが向かえばいい。
藤野さんは「かかりつけ看護師」という概念を生み出しました。クリエイターですね。
今後、国の方針として「訪問診療費」は下がるのではないかと予想されています。採算の取れない部門で医師は診療し続けることができないため、今後訪問医療は看護師が担うことになると岡田、藤野両人は予想していました。
「間違いなく伸びる分野だ。」と。
これだけ賢い人間たちが間違いないと言っているんだから間違いないんでしょう。
私の実感としても、人は病院に長くいるべきではなく、大体治ったらさっさと家に帰るべきだと思います。「早く家に帰りたい」と話す認知症高齢者を縛り付けたり、言いくるめて騙すのにはもう疲れました。
お家に帰ってもらいましょう。そして家族にすべての責任を擦り付けるのではなく、医療者として一緒に役割を果たしていきましょう。
訪問看護にはそんな優しさが詰まっているのではないかと、私は感じました。
本当はもっとたくさんの内容を話していたんですけどね。やはり私の口では彼のパッションを表現することができません。
次回はその「情熱」、岡田悠偉人さんや藤野泰平さんの情熱を支えるものは何なのかに焦点を当てていきたいと思います。
Red Hot Chili Peppers - Dani California (Video)
起業家セミナーin名古屋
こんにちは。イマヌエル・カンゴです
この名前にしてからは初めての投稿になります。皆さま改めてよろしくお願いいたします。
さて、今回はNEW NURSING Inc. 主催「看護における起業家セミナー In 名古屋」についての記事を書きたいと思います。
セミナーの記事を書くと言っても台本やレジュメを持っているわけではありませんので、一参加者の完全なる主観的解釈として参考までにご査収ください。本当の内容が知りたい方は主催者たちに聞きに行くのが一番です。
さて、本題に入りましょう。
今回のセミナーではいったい何を学ぶことができたのでしょうか。
全3回に分けて生の感想を記録しておきたいと思います。
・「看護」と「お金」の関係性
私は看護師。患者さんにケアをすることで病院からお金をもらっています。しかし、このお金が「どこ」から湧き出てきているのかはわかりません。国民の医療費から出ているのはわかります。そうではなく「私の看護の何に対して払われているのか」がわからないのです。
その点、居酒屋はわかりやすいです。酒やおつまみに価格が設定されていて客がその商品に対してお金を払って消費する(実際にはその間に様々な要素が介在しますが)だけです。
しかし私は日々の看護の中で、「このルート確保はいくらだ」とか「この車イス移乗はいくらだ」とか「この看護計画立案はいくらだ」というような考え方をしながら働いておりません。「いやー、今日はめちゃめちゃお風呂介助したから多めに稼げたなー!」というような考え方をしながら働いておりません。
ある意味そんな働き方をしてはいけないと教わっています。「看護はお金じゃないのよ!!」みたいな言葉がどこからか聞こえてきます。その結果看護師たちの多くは安月給で馬車馬のように働かされています。ウケる。
「患者をダシにしてお金を儲けようとするのは悪」と思われがちですが、「患者に最善のケアを提供しお金を稼ぐ」という視点がこれからの時代に必要なことなのかもしれません。「お金」自体は悪いものではなく、問題はその使い方。
また、一般的に看護師は高給取りだと言われますが、私はそうは思いません。なぜなら≪果たしている役割に対する成果≫ではないからです。不思議じゃないですか?「今月は心マで2人の命を救ったのに割と暇だった先月と給料が変わらない」、「院内研究で病院内での患者誤認・誤薬件数を減少させたのにボーナスは変わらない」、こんなの普通です。
日本では「診療報酬制度」のもとで包括的に看護の価値を設定されるので、私たちがどれだけ努力をして看護の質を向上させても病院から支払われる給料は一向に上がりません。そのかわり一年経ったらちょっと上がります。
このシステムは努力する人にとって大きな意味を成しません。もちろん患者さんからは感謝されます。しかし私たちの生活の質は変わりません。
こんなことでいいのでしょうか。私は頑張って成果を出した人は報われるべきだと思います。海外の病院ではKPI(Key Performance Indicator:重要業績評価指標)で看護師を評価するところもあるようです。この概念は一般的な企業では当たり前のものですが、私たち日本の看護師は自分の業績を評価してもらうということに慣れていません。
そもそも日本人は〈他者との競争〉という概念があまり好きではありません。人に負けたり、軋轢を生みたくないので勝負しようとしません。「大切なのはチームワーク」であり、たいして仲良くしたいと思ってもいない人との上っ面の関係性を維持し続けます。
病院の委員会活動なんかがそうです。「なんで私が褥瘡委員会に!?」という想いを押し殺し、褥瘡に興味のない人が10人集まって、興味のない褥瘡についてうーんうーんと頭を悩ませます。
そんな時間の無駄は今すぐやめて、最強の人材に最高のガイドラインを作ってもらったほうが効率的です。このトップダウンによる「効率の良さ」を最大限に引き出すのがビジネスであり、実現しようとしているのが岡田悠偉人なのではないでしょうか。
これはスケールの小さい具体例であり、実際にはもっと大きなビジョンがあります。それは「病院の外で看護の価値を評価してもらう」ということです。病院の中では「診療報酬制度」の網から抜け出すことはできません。決められたパイの分配を医師や薬剤師たちと奪い合うだけです。
しかし、世の人々はもっと看護を求めています。地域には健康問題で困っている人たちはまだまだいて需要があるのはわかっているんだけど、どうアプローチすれば良いのかがわかっていません。なぜなら多くの看護師は「病院の外」に出たことがないからです。
次回の記事では「病院の外」で看護を実践する訪問看護ステーションの経営者 藤野泰平さんの情熱に触れていきたいと思います。初めてお会いした方なんですがこの方、めちゃめちゃアツいです!私の文章で的確に表現することができるかどうかわかりませんが頑張ります。乞うご期待ください!
今日の1曲
Estiva - Let It Go (Official Lyric Video) [OUT NOW]