父親
こんにちは。カズッペです。今更ながらCOD WWⅡを始めました。
今日は父について書きたいと思います。
世の中には尊敬できない男が沢山いますが、私の父は男として尊敬できます。
父は長い間、障害児童の福祉施設で支援員として働いていました。まずこの時点で尊敬できます。
福祉に対し非常に真摯であり、医療職として為になることをいくつも話してくれます。
今は前職を退き、地域で困難を抱えながら暮らす人を支える、生活相談支援専門員として働いています。
しかし、私が小さいころは「こんな人には絶対になりたくない。」と思っていました。
いつもふざけたことばかり言っているし、デパートの中で腹を叩きながら変な歌を歌っていたからです。隣にいるのが恥ずかしくて仕方ありませんでした。
でも嫌いだったわけではありません。いつもニコニコしているし、滅多に怒らないし、なんでも話しやすかったです。どんな時もユーモアを欠かさないエンターテイナーでした。そして本当に大切な時に叱ってくれる人でした。
一緒に野球をしたり、川で釣りをしたり、ギターを弾いたり、自転車で旅をしたりと、遊ぶことなら何でも教えてくれました。
それと本を読むことの大切さを教えてくれました。(本というよりマンガ)
どれだけマンガを読んでいても一切怒らず、むしろ推奨していました。
家にはジャンプ漫画から手塚治虫まで幅広い年代・ジャンルのマンガがそろっていました。
「マンガは人生の教科書だ。」と父が言っていたのを私はいつまでも忘れません。
大人になった今では、居酒屋で酒を飲みながらいろんなことを話したりします。
仕事のことも趣味のことも、社会の在り方や歴史のことまで何でもです。
私はそんなことを大まじめに話してくれる父が大好きなんです。
年を重ねていくにつれ、「絶対なりたくない」と思っていた人に、少しずつ自分が重なっていっているような気がしています。笑
まだまだ程遠いですが。
蛙の子は蛙ということですね。
医療ってなに?
こんにちは。カズッペです。米が切れたので、かなり厳しい生活を送っています。
医療界は今、窮地に立たされています。私と一緒ですね。
おそらく何百年も前から立たされていたと思いますが、未だに医療が安息の地を得られたことはありません。
なぜ医療界はこんなにも厳しいのか。この謎を解き明かすべくカズッペたちはアマゾンの奥地へと向かった...
さて、医療のゴールとは何でしょうか。
たぶんパッと見「人が病気にも怪我にもならず死にもしないこと」だと思います。
私個人の見解です。実現したらマジですごいと思います。
実現するかどうかはさておき、これまでの人類はできるだけその理想に近づけるように努力してきました。
そりゃそうです。ガンも認知症もALSも無いにこしたことはありません。
人は死にたくて生きているわけじゃありません。
そう感じるのは人の性です。
素晴らしい人には長生きしてほしいし、クズには死刑になってほしいと思うもんです。
生きることは尊いことで、死ぬことは罰だ。報いだ。
世界中の結構大勢がそう感じているんではないかと思います。
もし違うんだったら今頃世界はこんなことにはなっていません。死刑制度なんてとっくに消滅して、火拳のエースも今頃死んでいません。
でも自分は死ぬことが「悪」だとは思いません。
死が「悪」だとしたら最終的には人間は全員「悪に屈した負け組」になります。
ではなぜ医療は「死」を克服しようとするのでしょう。
何だかんだ言って今自分が死ぬとなると「いや~、なんとか生きたいっす...」ってなります。助かるもんなら助かりたいです。
誰かの犠牲の上に成り立つ救命処置を「いえ、結構です。」と断れるほど、立派な人間じゃありません。やっぱ死ぬのは怖いです。
みんなが恐れる「死」をやっつけたい!!
それが医療だと思います。
だからこそですよ。「死」が怖いことなんてみんなわかっているのにですよ。
「自分はもういいんです。」なんて中々言えたものではありません。
怖いけど、必ずいつか訪れるものだから。
誰かに決めてもらうんではなくて。
自分で区切りをつけるんです。
かっこよ。
「看護師になろう」と思ったきっかけ
こんにちは、カズッペです。こうゆう丸い氷でウイスキーを飲むのが大好きです。
今日は私がどうして看護師になろうと思ったのかを書きます。
看護師を志したきっかけは人によって千差万別だと思います。
・給料がいいから
・身近に看護師の人がいて憧れたから
・人の役に立ちたいから
・かっこいいから
・なんとなく
・わかんない
などなど
誰に聞いても必ず答えは返ってくるでしょう。
私の場合は以前もお話しした通り、母が看護師です。
忙しく働きながらも、ご飯を食べさせてくれ、服を着替えさせてくれ、背筋を正して歩くことを教えてくれました。
身近に看護師がいるということはとても心強いことだと自分は勝手に思っています。
自分も他人に安心を与えることができる人になりたいという想いは母の姿を見続けていたからだと思います。
残念ながら不出来な息子は何も返せていません。親不孝者です。
いろいろな葛藤にもがきながらもいつか恩返しがしたいと考えています。
もうひとつ私が医療従事者として働くきっかけとなった出来事があります。
脳腫瘍です。
私が罹った病気は「聴神経鞘腫瘍」という病気です。良性腫瘍です。
上の写真は自分のものではないですが、同じような感じです。
発覚したのはたしか高校2年生の冬でした。そのころの私は医学に通じていないただの高校生でした。
最初は耳鳴りが続いて地元の病院では「突発性難聴」の診断が下されただけでした。
しばらく治らなかったので別の病院で検査を受けました。
「念のためCT撮りましょうか~」
当時は(CTってなんやねん…)程度の印象しかありませんでした。今ならわかるけどCTはすごいです。
「なんか影っぽいの写ってますね~。念のためMRIも撮りましょうか~。」
(は…?影って何…?てかMRIってなんやねん…)って感じでしたね。MRIはマジですごいです。これで救われている命はたくさんあります。
「腫瘍ですね。ここの白い奴がそうです。」的なことを医者が言ってたと思います。
はっきり言って聴神経鞘腫瘍が直接的な死因となることはほとんどありません。
適切な治療をすれば普通の生活をすることができます。
しかし、医学に疎いカズッペ少年はなんと「腫瘍=ガン」だと思い込んでいたのです。
さらに、「ガン=死」という連想もしてしまったカズッペ少年には、あれこれと説明を続ける医者の話が全く耳に入りませんでした。
今でも覚えています。
この出来事は普段賑やかで話題が絶えることのない家族を、1時間も車の中で黙らせました。
「自分は死ぬのか」という思いで涙が出ました。絶対に忘れられません。
その後、脳腫瘍の中では比較的安全であり、放射線治療で進行を止めることができる。ということがわかったので、治療をしました。
今はその治療をした病院で勤めています。
この「脳腫瘍」がここまで自分を導いたのだと思います。病気に感謝ですね。
「自分と同じような気持ちになる人の支えになりたい。」
その想いは今でも1ミリも揺るぎません。
「意味ゲー」とは
こんにちは。カズッペです。
メルカリの売り上げが好調なため、ひどく興奮しています。
みなさん突然ですが「意味ゲー」とは一体何でしょうか。
「意味ゲー」とは私が考え出した一種の理論です。
世の中には本当にたくさんの理論があります。
均衡理論、ゲージ理論、超弦理論、人口理論、カタストロフィー理論など、枚挙に暇がありません。
そこに「意味ゲー理論」が一つ加わったところで誰も損はしないだろうということで、このたび提唱させていただきました。
この世には多くの「〇〇ゲー」があります。
・クソゲー
・謎ゲー
・連打ゲー
・脳死ゲー
などなど。
皆さんなら一度しかない人生。どんなゲームをやりたいですか?
私は胸を張ってこう答えます。「意味ゲーだな。」と。
そもそも意味ゲーとはもともと中国の故事成語から来ておらず、古くは明の時代から使われていなかったそうです。
また、古代ギリシャ神話の中でも同じような概念(古代ギリシャ語で’’imigee’’)が用いられておらず、民衆の間にも深く浸透していなかったようです。
今書き連ねた文章に「意味」はあったでしょうか。
私はこのしょーもない文章を考え、キーボードに打ち込むのに5分以上はかけました。
大事な人生を5分も上記の戯言にあてたのです。しかもブログが消えない限り一生残ります。いとも簡単に黒歴史を生み出しました。
でも確かに「意味」はありました。このしょーもない文章は皆さんの大切な時間を10秒ほど奪い取り、頭の中に「?」を生み出すことができたと思います。
この世に「意味」のないものなどあるのでしょうか。
「うわっ…これ意味な…」と感じることは私も何度もありました。
しかし、思い返してみると実はたくさんの「無意味」たちが私に考える機会を与え、感動を生み出していたことに気づいたのです。
「無意味」だと感じてしまったら何も生みません。それはただの「無意味ゲー」です。
私が言いたいことは、「意味」≠「価値」ではないということです。
「価値」がないことを「意味」のないことだと決めつけるのはもったいないことです。
価値の判断基準は人それぞれであり、私にとって「無価値」なものなど掃いて捨てるほどあります。その辺にある石ころなんてほとんど「無価値」ですが、「無意味」ではありません。
石には”岩石のうち割合に小さいもの。砂ほど小さくなく岩ほど大きくない。塊。”
というれっきとした意味があります。
これから私たちの目の前で起きることは「意味不明」なことばかりだと思います。
でも明らかになっていないだけです。無いわけじゃありません。
わからないなら明らかにすればいい。自分の手で。
待ってても誰もやってくれない。
物事の奥底に潜む「意味」を見出す力をつけるゲーム。
それが「意味ゲー」です。
君子豹変す
こんにちは。カズッペです。
今後めんどうになりそうなので題名を2文字で統一するのやめました。まさに’’君子豹変す’’。たぶん自分に使う言葉ではないと思います。笑
さて、私はまだ海外には行ったことがありません。
これは自分的に悲しいことだと思ってます。外国の美しい風景や文化を画面越しに眺めるのにはもう飽きたからです。せっかく地球に暮らしているんだから存分に楽しんでみたいのです。
で、有るが故にすでに海外に行ったことのある人をとても尊敬しています。飛行機に乗って異文明の地に降り立つという行為を自発的に行えることがすごい。
「別に海外には興味がない。」という人も沢山おられるでしょうが、私は興味があるんです。
「いつか行ってみたい!!」という人も大勢いると思います。今は耐え忍んでいつの日かともに地球を楽しみましょう。
今の仕事をある程度続けたら適当に放浪の旅に出ようかと考えています。
マウンテンバイクに乗って、テントはりながらテキトーに生きてみたいです。正直いつでもいいんですができるだけ若いうちのほうがいいなと思っています。明日とかでもいいんですけどね。仕事クビにならんかな。
まああんまり焦ってもしょうがないんで、今ある日常の幸せを噛み締めましょう。
もちろん看護師としての人生も気になります。
私は将来大学院に進学したいです。勝手にすればいいんですけど、一般的には臨床経験5年以上という決まりがあるので、30代までの人生設計がかなり制限されそうな気がするんです。
今23歳で5年間働くと28歳。そこから大学院へ進学して卒業するとなると30歳。
いつ海外行くねん…って感じです。大学院についての話は今後詳しく書きます。
結局はなんのために生きるのかって話です。皆さんはなんのために生きていますか?
私は自分の幸せのために生きています。「俺にとっての幸せ」とはなにかね?ってのを今後も書いていきたいんですけど、できれば皆さんの生きがいとか幸せも知りたいです。食事でもお酒でもおごるので、札幌来たときは連絡ください。
食事
こんにちは。カズッペです。帰省してきました。久々の家族全員集合は嬉しかったです。
社会人一人暮らし。私が苦戦するのは食事でした。
食費は最大のコストカット源と考えている私は具無しカレーでしばらく生活していました。でもやっぱりきつかったです。体が悲鳴を上げました。
栄養のあるものを食べるのは本当に大切なことですね。何よりも体が資本。
さて、突然ですが皆さんは梅干しが好きですか?
私は心から梅干しを愛しています。
「梅干しが食べれなくなるくらいだったら死んだほうがまし。」とまでは言い難いものの、梅干しを食べることは私の重要なライフワークの一環なのです。
でも私は梅干しの栄養が好きなわけでも、腹持ちの良さが好きなわけでもありません。
「味」や「食感」が好きなのです。だから梅干しをペースト状にしたものを胃の中に直接流し込まれても私は嬉しくもなんともないのです。塩分過剰摂取で死にます。ある意味本望。
人はおいしいものを食べたり飲んだりするために生きている側面もあります。
’’酒を飲んだ奴は、死ぬ’’という研究結果が出たとしても人々は酒を飲むことをやめないでしょう。「酒」が「カレー」でも「うどん」でも「カレーうどん」でもそうでしょう。
最後にはみな死にます。
カレーうどん食べて誤嚥して死ぬことが’’悪’’だと私は思いません。
だから「わしは絶対にカレーうどんを食べるんじゃ!」という老人を見かけたら見守ります。自分の命をかけた挑戦だからです。
死を覚悟してエベレストの頂を目指す登山家と何が違うのでしょうか。
そういう人たちはその壁を超えた先にある感動を味わうために生きているんです。
もちろん死んでほしいわけではありません。
死の可能性を最小限にするための準備を怠りはしません。それは登山家も同じ。
老人の嚥下機能を極限まで高めてからカレーうどんに挑戦させます。
しかし、私たちにできるのはそこまでです。その先の選択は個人の自由なのです。
自由とは何でしょうか。誰が決めるんでしょうか。
自分でしょうか。社会でしょうか。
故郷
こんにちは。カズッペです。そのうち改名しようと思っています。
自分語りします。
私の故郷は道東にある非常に小さな町です。人口1000人くらいですかね。
山や川に囲まれた自然豊かな環境で育ちました。コンビニはセイコーマート1つだけです。
同級生は8人。保育所から高校まで同じ場所に通いました。転校しちゃった人もいます。
先輩も後輩もみんな友達。みんな大切な人たちです。
物心ついた時から木でできた家(ログハウス)に住み始めました。
社会にでるとこのような環境で暮らすことが当たり前ではないことを知りました。
「え?みんな普段から薪ストーブ焚いたり、たき火しないの?」って感じでした。
おまけにたくさんの動物を飼っていました。
馬、山羊、烏骨鶏(鶏みたいの)、犬、ウサギ、インコ、金魚、野生のキツネなど。
ただの父の趣味です。へんてこりんですね。お陰で動物にまつわる謎エピソードがたくさんあります。1つ紹介しましょう。
名はジュン。北の国からの主人公から名前をとったそうです。本犬のプライバシーに配慮し、顔出しNGとさせていただきます。普段は鳥小屋の番をしています。だが、ある日突然鳥小屋に侵入し、それまで守っていた鳥たちを残さず食い殺したのです。きっとおなかが減っていたのでしょう。
このような環境では当たり前の死生観(犬の)など一瞬にして崩れ去ります。
自然とは死と生の繰り返し。これはガチです。だって俺見たもん。
人はどうでしょう。死にますね。
しかし、私は近しい人の死を経験したことがありませんし、人の死の瞬間というものも目の当たりにしたことがありません。でも人は死ぬということを知っています。
もちろん私も死にます。
私は「あ、死んだな。」と感じたことが3度ありました。
一度目は自転車で一時停車無視して車に轢かれそうになったとき。
二度目は凍らせたゼリーが喉に詰まって呼吸ができなくなったとき。
三度目は病気になったときです。
私はこれらの経験からあることを学びました。
法律は守ったほうが良いということ。蒟蒻畑は若者も殺し得るということ。
そして、明日自分も得体のしれない病気にかかって死ぬかもしれないということ。
明日死ぬとしても 後悔したくないですね。今を一生懸命生きたいですね。
でももし明日死ぬのだとしても、「太く短い人生だった」と笑える人生にしたいですね。