イマヌエル・カンゴのBLOG

一般看護師の陳述

食事

 

こんにちは。カズッペです。帰省してきました。久々の家族全員集合は嬉しかったです。

 

社会人一人暮らし。私が苦戦するのは食事でした。

食費は最大のコストカット源と考えている私は具無しカレーでしばらく生活していました。でもやっぱりきつかったです。体が悲鳴を上げました。

栄養のあるものを食べるのは本当に大切なことですね。何よりも体が資本。

 

さて、突然ですが皆さんは梅干しが好きですか?

私は心から梅干しを愛しています。

「梅干しが食べれなくなるくらいだったら死んだほうがまし。」とまでは言い難いものの、梅干しを食べることは私の重要なライフワークの一環なのです。

 

でも私は梅干しの栄養が好きなわけでも、腹持ちの良さが好きなわけでもありません。

「味」や「食感」が好きなのです。だから梅干しをペースト状にしたものを胃の中に直接流し込まれても私は嬉しくもなんともないのです。塩分過剰摂取で死にます。ある意味本望。

 

人はおいしいものを食べたり飲んだりするために生きている側面もあります。

’’酒を飲んだ奴は、死ぬ’’という研究結果が出たとしても人々は酒を飲むことをやめないでしょう。「酒」が「カレー」でも「うどん」でも「カレーうどん」でもそうでしょう。

最後にはみな死にます。

カレーうどん食べて誤嚥して死ぬことが’’悪’’だと私は思いません。

だから「わしは絶対にカレーうどんを食べるんじゃ!」という老人を見かけたら見守ります。自分の命をかけた挑戦だからです。

 

死を覚悟してエベレストの頂を目指す登山家と何が違うのでしょうか。

そういう人たちはその壁を超えた先にある感動を味わうために生きているんです。

 

もちろん死んでほしいわけではありません。

死の可能性を最小限にするための準備を怠りはしません。それは登山家も同じ。

老人の嚥下機能を極限まで高めてからカレーうどんに挑戦させます。

しかし、私たちにできるのはそこまでです。その先の選択は個人の自由なのです。

 

自由とは何でしょうか。誰が決めるんでしょうか。

自分でしょうか。社会でしょうか。